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1996/03/15号 | 竹の塚せんべい

 竹ノ塚駅横の大踏み切りがある赤山街道沿いのお店。そう、店先の焼き場でおやじさんがせっせと焼いている、あのせんべい屋さんだ。
 この「おやじさん」こと珠村堅一さん(58)が仕事場に入るのは、毎朝5時。「炭火手焼」が看板の「竹の塚せんべい」の命、備長炭に火を起こすためだ。火を起こすといっても、そこは完璧を期すプロの仕事、これだけで優に2時間。
 ガスの火で焼くのと炭火で焼くのとでは、味がまるで違ってくるのだそうだ。「炭火で焼くと、“遠赤効果”によって、せんべいの中からしっかり焼けてくるんです。そして、米の甘味が引き出される…」。
 実際、「竹の塚せんべい」をかじってみれば、昔ながらの製法というものが、いかにせんべい本来の味わいを引き立たせるかよく分かるだろう。
 堅過ぎずかつ柔らかくもない絶妙な歯応え、そして、口中に広がる香ばしい風味とほのかな甘さ。おいそれと出せる味ではあるまい。


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1996/02/15号 | (株)丸鈴

 「時代の波に乗る」とこのようになる、という見本のような超優良企業である。同社は、ポリウレタン、ポリエチレン、ゴムを素材とする2次加工メーカーとして、昭和34年に千代田区東神田に創業され、20年前に今の地に移転。現在、全国の約200社近い同業者のトップを走っている。
 原料は、石油(ナフサ)。発泡メーカーがつくった「パン」と呼ばれる2?近い素材を、最低2?からスライス、裁断するなどして各種商品に仕上げてゆく。台所や浴室で使うスポンジ、文具の収納ケース、車のシート、ソファーなど家庭や企業で大量に使われているのが、ポリウレタンとポリエチレン。そして最近では、パソコンブームに乗って、同社が企画、開発したマウスマット(ゴム)が大ヒット中だ。
 創業者である父親の故鈴島芳雄氏の跡を継ぎ、8年前に社長に就任した長男の健氏(50)は、「この業界に大手が参入していなかったことが第一。第二に、独自の企画力と販売力を蓄積していたこと。第三に、国内市場を中心にやっていたことで、円高による打撃をほとんど受けていない。この点が、うまく行っている理由ではないでしょうか」と語る。製品の対象業種が多いことも、社業好調の原因となっているようだ。
 同社長は、西新井法人会の青年部会長、ご子息が通う東海大付属高輪台高校の後援会長も引き受けるタフネスぶり。
 社員100人、資本金5千万円、昨年の売り上げは22億円である。


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1995/10/15号 | 島田屋製菓(有)

 最近「南花畑広小路」という名の信号がついた交差点の角にある同社(店)には、「元祖 東京・長崎バウムクーヘン」を買い求める客が次々と訪れる。約2割引きで売る毎月1日、2日の特売日はなおさらのにぎわいだ。
 「これ、カステラ?」と思わせるほどの?やわらかさ?が特長。原料は、小麦粉、砂糖、卵、油脂だが、普通のものより卵を増量したところがミソ。「卵が多いと、ロールに巻いて焼くときに崩れてしまう。それを固めるまで3、4年かかった」と島田四郎社長(63)。産みたての卵を使うことと、混ぜる時のミキサーの回転速度、製造温度に秘訣がある、と言う。
 23年前に、六町3丁目でスタートした時は、いわゆる「普通のバウムクーヘン」だった。売れない。熟練の従業員とともに工夫に工夫を重ねた。
 「理想から言えば、まだ65点。次は75点が目標」と語る島田社長のワキで、工場長兼技術部長の奥さん・光子さんが、お客に笑顔をふりまく。
 大胆かつ細心の販売戦略も見逃せない。郵便局の「東京お中元(お歳暮)特選品」カタログに広告を掲載したり、全国発送も積極的に展開して商品の浸透を図る。島田社長いわく、「味の噂は千里を走る」―。


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1995/09/15号 | (株)展示構成

 「時代の流れに乗る」ことが企業発展のキーワードだが、同社の今の状況は正にこれ。
 同社は、各種展示会、ショールームなどの企画・設計・施工の老舗(しにせ)だが、昨年アメリカの大手ディスプレイ機具製作会社「nimlok(ニムロック)」と提携、日本の総代理店となってから、一躍脚光を浴びるようになった。
 これまでの展示といえば、ベニヤ板と壁紙などを主材として作られ、その展示期間だけ使って、終了後は廃材として処理されてしまうパターン。この「ニムロック」は、パネルとコネクターによって組み立てられ、何度でも使い回すことのできる「省資源型」。コストダウンにも役立つ。
 「イベントのディスプレイ(展示)の革命です。収納箱に入れて女性でも運べる、組み立てに道具がいらない、短時間で作業ができる、パネルの色やデザインは豊富……。まあ、?大人の積み木?と考えてもらえばいいんです」と語るのは、この業界に40数年という吉村久雄社長(68)だ。
 欧米では主流の同システム、同社長の三男で専務の勝博さん(38)が、このシステムに注目、営業企画担当として社長を支える。
 昭和40年、吉村社長が39歳のときに設立した会社だが、今、新たな峰への挑戦が始まった。


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1995/06/15号 | (株)ドンレミー

 「TOKYOウォーカー」「ぴあ」など、今若者に人気の情報誌ではグルメ特集花ざかり。その洋風デザート部門に必ず登場するのが、同社のデザートだ。昨秋、「女性自身」のデザート特集で、ココナッツミルクとパイナップルジュース、ラム酒のカクテルをゼリーにした同社製の「ピーニャ・コラーダ」が堂々の第1位に輝いた。
 プリン、ゼリー、ムース、ケーキなどあらゆるジャンルの商品を、総勢150人の主婦パート、50人の従業員が一つ一つ心をこめて、ていねいに作っている。
 昭和28年(1953年)、先代の木本多計氏が、和菓子メーカーとして創業したが、2代目で現社長の高一朗氏(44)が10年前に洋風デザートづくりに一気に転換。「スーパー、コンビニがどんどん生まれ、そこに若者が集まるのを見て、時代の流れを感じたんです。大企業のできないスキ間の分野でしたしね」。
 「企画力、商品力が勝負」(木本社長)のこの世界で、同社製品は販路を広げ、今や関東一円の大手スーパー、ミニストップなどのコンビニ合わせて3千店に進出している。
 毎週火、金に同社前で行われるワゴンセールは、近所の主婦らでゴッタ返す。


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1994/08/15号 | いなり寿司 松村

  「柳原に“松むら”あり」と知れわたったいなり寿司とのり巻きの専門店。ほど良い甘味のツユがたっぷりとしみこんだおいなりさん、パリッとした特上の浅草のりを使ったのり巻き。
 6月末の日曜日、運動会を開いた地元の柳原小をはじめ、遠くは上沼田小まで6校から来賓用にと折詰めの注文が来た。「一度に500人前作ったこともあるよ」とご主人の立花千里さん(54)。
 普段は、奥さんのよし子さんと2人だけの商売だが、大量注文の時は、社会人になっているお子さんも手伝いに来る。
 浅草・清川町にある本店から独立、昭和39年にこの地に出店。「おいなりさんは、本店から持ってきた何十年というタレが決め手」だそうだ。
 墨田区にある専門の油揚げ屋さん特注の油揚げと、秘伝のタレで、自慢のおいなりさんが誕生する。


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